「ヒトラーの贋札」という映画が気に入ったと知人の書き込み。
確かビデオを残してあったが、時間の都合が付かず、いつかは観たい映画待ち行列のどこかにしばらく放置。
ついでに、以前こんな本を読んでいたのを思い出した。ニセ札偽造「ベルンハルト作戦」の全貌を記した読み物「ヒトラー・マネー」。
元ネタがあることを紹介するコメントを館主はネットに書き込んだ。
それがきっかけで、優先順位を変え、ビデオを観た。
さらに、この本を読み直す。ウーン、映画の内容とこの本の内容とは、似て非なるもの、これが感想だ。思い違いだった、この本は元ネタではない。
その一、映画は二時間にきちんと収めるため相当割愛したと思われるが、そこへいくと本の場合、おもしろければいくらでも資料が使える。例えばこの本に記されている、イギリス(ケインズ)さらにはアメリカ(あのマッカーサー)でも一部で検討された敵国への贋札攻撃の話がまったく出てこない。
その二、映画は囚人ブルガーの回想録に基づいたとある、道理で。当事者の回想だけに、囚人同士の関係、第19号棟の様子は微に入り細に入り再現してあると思われる。しかし反面、作戦の全体を知る立場にはなかったはず。ブルガーは、サボタージュを主張してただ一人作戦を遅らせる中心人物として映画では描かれている。しかしこの本では、彼の描写は一ページにも満たない。
その三、逆にこの本で相当詳しく記されているが、映画でほぼ無視されたのが、大英帝国のニセ札防止策と偽造チームの攻防。四十年間刷り続けても重複のない仕掛けの精巧さとイングランド銀行の過信。
その四、やはり映画は観客を楽しませるために、事実に脚色を加えている。映画の主人公サロモンのベッドシーンを挿入したり、最後に浜辺でダンスを踊らせているのは、監督ないし脚本家のサービス精神の発露だろう。
映画と離れて、この本には興味深い歴史のディテールがふんだんに記されており、読者を最後まで飽きさせない。ベテラン特派員の筆力の力強さと、5年間の調査活動の成果に脱帽。人間としておもしろいのは、強力なリーダー・シップを発揮しながら個人としてはきわめて謙遜的なベルンハルト・クルーガー、自由の身になった後もニセ札作りに関わった懲りない男サロモン・スモリアノフ、映画にはまったく登場しないがニセ札を洗浄する一番おいしい蜜を吸ったシュヴェント等々。
というわけで、映画もそれなりにおもしろかったが、やはりこの本の方がそれにもまして興味津々というのが感想。

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人物描写、やつは間違っても愛情を集める人物ではなかった
リングが同業者トランボを描写する筆は独特だ。普通世間では、こんな人物とはつきあえないだろう。でも著者はあくまで柔らかい。
ごくまれにこういう人物に出くわす。人間としての美点が誰の目にも明らかで、人を捉えて放さぬ包容力があり、自分のことはそっちのけで相手を気遣い、その円満な生活ぶりはまわりの尊敬と愛情を集めずにはおかない、というような人物にである。ドルトン・トランボこそは、間違ってもそういう人物ではなかった。
確信的な屋内派であるトランボは、右手にペン、左手にタバコを持って、バスタブに浸ってシナリオを書くのを好んだ。彼にとっての暇つぶしは論争で、相手が友人であれ赤の他人であれ、手紙であれば多量の便箋に持論を展開して倦むことを知らず、面と向かっての議論であれば、ひとたびトランボが喋りだせば、奔流のごときその勢いに当人同様相手も巻きこまれて時間の経つのを忘れてしまうのだった。
ところで、トランボは、著者同様赤狩りに巻きこまれたが、あの「栄光への脱出」「パピヨン」の脚本、「ジョニーは戦場に行った」の監督で名を残した。
われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり―リング・ラードナー・ジュニア自伝

刑務所の一年を振り返り、自由を獲得
この本「われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり」で、著者リングは連邦刑務所の一年を後振り返っている。こういう風に前向きに考えることのできる人も多くはあるまい。この自由を獲得するために、塀の中に入りたがる人は居ないと思うけれど。
囚人としての経験についていえば、人に勧めたくなるほど楽しかったとまではいわないが、何の意味もない一年間だったとは思っていない。まず、刑務所は人との付き合いの幅を広げてくれるのは間違いない。それに、塀の中にはT・E・ロレンスがショー二等兵として経験したような安らぎ―責任からすべて解放されることによって生じる心の平穏―があった。これは自分で自由に期間が設定できる隠遁生活からは生まれようのないものだ。選択の要素は存在してはならないのだ。自分の力では何ひとつどうしようもないと分かった瞬間、思考が完全な自由を獲得する。
「われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり」を読む
「M★A★S★H」という映画をご存じだろうか。館主はアメリカ出張中、テレビでよくこのブラックコメディーを観ていた。確かシリーズものだったと記憶する。この本を読んだら、もともとは1970年に作られた映画だという。そんな昔になってしまったのか。映画で使われたあの奇妙な曲(suicide is painless?)を今でも覚えている。
背景を知らずに、この本は読めない。第二次世界大戦後始まった米ソ冷戦時代のアメリカで、赤狩りの標的の一人とされた人物の自伝。ハリウッドの脚本家。ハリウッドというと今の日本人には華やかな印象しか無いと思うが、アメリカの汚点とも言えるこのヒステリー現象は、知る人ぞ知る事実。
この本の邦題は相当強引な意訳に違いない。以下法廷でのつるし上げ場面の引用をまず読む必要がある。:
「誰だって胸を張って答えるだろう。真のアメリカ人であれば胸を張って答えることのできる質問だ。君は現在共産党員なのか、あるいは過去において共産党員であったのか?」
「胸を張って答えられるかどうかは周囲の事情によります」私は彼を見て言った。「答えようと思えば答えられるでしょう。でも、答えてしまえば、あとで自分がイヤになる」
この一言でトーマスの我慢は限度を超えた。「退廷を命じる!」
原題はその時の言葉、I’d Hate Myselfから来ているそうだ。もっとも著者はこのタイトルを本の中で使っているので、翻訳者があえてタイトルを差し替えた理由も分からないでもない。

われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり―リング・ラードナー・ジュニア自伝、リング・ラードナー・ジュニア、清流出版、より
「ユダヤ人を救った動物園」を読む
「ユダヤ人を救った」となると、それで内容がおおむね予想が付く。しかし「動物園」とどう結びつくのか題名からは伺いにくい。それは読んでみてのお楽しみ。
もちろん主人公夫婦以外にも、救おうとした同士がいた。
フェリクスは、怪しいことは何もないと周囲に思わせるため、月に一度、匿っているユダヤ人全員を、動物園その他の安全な場所に移動させ、その間、自宅に隣人や友人を招くということもやった。やがて資金が尽きて、借金まで背負ってしまったが、今度は自分の家を売り、そのお金でユダヤ人を匿えるアパートをもう四戸借り、家具まで入れた。
こういう志はいったいどこから来るのだろう?
何と言っても動物園での「企み」は規模を抜いていたのだろう。動物園で、人を匿う苦労がこれでもかこれでもかと記してある。身近な他人でも信用ができない。使用人の立場で、主人の豪快な食べっぷりをとやかく言うことはさすがにできないが、ときどき「よくあんなに食べられるものね!信じられないわ!」などと彼女がつぶやくのを、アントニーナは聞き逃さなかった。ヤンやアントニーナが「ライオンに餌をやらなきゃ」とか、「キジに」などと言うのを合図に、オリの中の「ゲスト」に食事を届けることもあった。万全を期して、アントニーナは結局、長年つとめた家政婦を解雇し、
結局のところ、長い放浪の旅の中継地として、ワルシャワ動物園に隠れ住んだ人たちの数は、すべて合わせておよそ三百人
だとか。
「ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語」

「宝石泥棒の告白」を読む
40億円の宝石を盗んだ、アメリカ市場もっとも凄腕の泥棒、メイソン氏の告白に基づくノンフィクション。
泥棒の顛末はこの本を実際読んでいただくことにしよう。念入りな準備と巧妙な手口。
この本がユニークなのは、まず著者が意外とインテリというか、ものを考える人であること。謙遜な一面ももっている。私の人生の中で一つ確かなのは、とにかくきわめつきに平凡だということだ。宝石類を盗むというささやかな趣味をのぞいては。
泥棒に狙われないための警告もある。絶対に安全だと油断している人々ほど、泥棒にとって好都合なものはない。安全のために最も大切なものは、錠でも防犯アラームでも守衛でもなく、警戒心だ。
いずれは捕まって、刑務所に入るわけだが、その時に心がけた切実な行動は何かと思いきや、だが私は房の鉄格子を使って懸垂を日々百回単位でやり、上半身の強さを見せつけた。私は尻の穴を犯されるのは趣味でなく、死ぬまで抵抗してその途中で相手にかなりの肉体的ダメージを与えるであろうことも、早めにはっきり表明しておいた。
切実だな、アメリカの刑務所は。映画で何度も描かれるけれど。自分の身を守るのも大変だわ。シュワちゃんとかスタローン並みにならないといかんのか。

伝説の快男児バロン・サツマの「完璧な伝記」を読む
「バロン・サツマ」とは、いったい何者?館主はフランスとはまるで縁が無く、知る機会がなかった。「完璧な伝記」瀬戸内寂聴さん絶賛!とある。伝記大好き人間としては気になる。某書店で、この本『「バロン・サツマ」と呼ばれた男―薩摩治郎八とその時代』をいつか買って置いた。積ん読状態が続いたが、今回思い切って、この400ページほどの分厚い本を通読。
読んで、合点。日本男児ここにあり。かくも桁外れの先人が居たことは、誇って良い。近年こんな豪傑は他に例を見ない。今のカネで、600億円を蕩尽し、じいさんの残した莫大な財産を使い切ってしまったようだ。
あまりに縁のない話のようで、読み進めるうち、実はそうでもないことを知る。だから読書は楽しい。杉村甚兵衛(おじいさん)は、蛎殻町の別荘で園遊会を催したとある。ナニ、館主が毎日会社に通う場所じゃないか。そこに6200坪の屋敷跡があったとは。
さらに、甚兵衛は明治39年、亀戸にモスリン工場を建てたとある。何とこれまた奇遇だ、あそこで幼少時代を過ごした館主は、モスリン工場の跡地が有ったことを、この箇所で突然思い出した。何と言っても、「モスリン」なんて、今の時代、死語だもん。
細かな部分はともかく、「完璧な自伝」であることに間違いない、と館主も思う。
ただはっきり言って、この本は読みにくいのだ。次郎八自身の回想が不正確なことに由来するのでやむを得ないのだろう。著者は膨大な資料に目を通し、考証して、次郎八の回想の誤り、矛盾を正していくというスタイル。誠実ではあるが、本としては時に煩わしくて、面白味に欠ける。
次郎八自身の声をもっと出して欲しかった。最初の妻、薩摩千代の描写が妙に乏しい。フランスでの後援者、オノラ総裁の死から帰国までのいきさつが少し唐突な印象。当時フランスで最高の知性を持った友人とつきあった次郎八が、帰国後何故浅草の若い踊り子と再婚することに至ったのか?どうも分からん。
マ、しかし人生そう割り切れるものじゃないし、それだけ次郎八は波瀾万丈の人生を歩んだと言うことか。

信頼と裏切りの奇妙なバランス、ある二重スパイ
凡人には想像もできない、とんでもない才能の持ち主というものは確かにこの世の中には居る。スパイというのもそのうちのひとつ。たいていは嘘を重ねていくうちに、些細なことからやがてばれてしまうのが世の相場。それだけに、最後まで完璧なスパイを演じるのは大変なこと。
この本「ナチが愛した二重スパイ」は、単にスパイを演じただけでなく、その上まんまと敵国同士の二重スパイを見事に演じきった男の実話に基づく。第二次世界大戦中、英国人でありながら、ナチスのスパイとなることを志願した、この憎めない悪党、チャップマン。
その男の、ウソをでっち上げる非凡な才能もさることながら、政府管理の組織(二十委員会)として二重スパイを成功裏に養成したイギリスという国の奥深さにも驚く。なぜ「二十」と名付けられたかは、本書を読んでいただくとしよう。あの国は、このことをもってしても、決して侮るべからず。以下は、その本からいくつか抜粋。なお括弧内は、ブログ読者のために館主が勝手に便宜的に挿入。
擬似尋問を監視していたリード(英国側のケースオフィサー)は、チャップマン(主人公)が脅し戦術に怯まなかったことに喜んだ。チャップマンは生まれつきの嘘つきなのだ。尋問中、容易には落ち着きを失わない。彼が英国の諜報機関のために働いたということを敵が知らなければ、彼は自分がドイツ側の満足がいくように任務を果たしたと思い込ませるのに、さほど苦労はしないだろう。
二十委員会とチャップマンとの間にも、実は微妙な関係があった。
チャップマンが提供してくれた(ドイツ側の暗号に関する)情報があっても、「暗号を解読するには非常に長い時間がかかる」とリードは悲しげに言った。それは全部嘘だった。敵(ドイツ)をだますスパイ(チャップマン)が、見事に(英国側に)騙されたのである。
なぜ騙さざるを得なかったか?英国側はあの天才数学者アラン・チューリングを使って、ドイツが絶大な自信を誇った暗号エニグマをすでに解読していたのだ。館主のブログ「ぼくは簡単な算数はやったことがない」で書いたとおり。チャップマンがドイツの拷問に負けて、その事実がばれることを英国は恐れたのだ。これが極秘情報だったからこそ、Uボートの圧勝が続かなくなった事実をナチスは受け入れられなかったそうだ。
二重スパイの危険性について、委員会は充分認識しており、マースタマン(英国の二十委員会委員長)は彼にこう警告した。
スパイの人生はひどく危険なものだが、二重スパイの人生はそれより遙かに危うい。揺れている綱渡りの綱の上でバランスを取っている者がいるとすれば、それは二重スパイだ。たった一回滑っただけで地上に激突して死ぬ。
最後に、英国の某作家は、主人公をこう評したという、「チャップマンの戦時中の功績は小説にはならないであろう 小説にしたならば誰も信じないだろうから」
事実は小説よりも奇なり、を地でいく話。著者の筆力も相当なもの。このブログの読者よ、本書をぜひよんでくれたまえ。読み始めた途端、ぐんぐんと本の中の世界に入り込み、時間を忘れること、請け合いだ。

本の行く末哀し
いくらで買い取ってくれたのかと尋ね、500円ほどと聞いて絶句。
今年も大掃除の季節がやってきた。書類、紙類、書籍類の整理を早めに済ませるようにと、山の神からのお達し。
ある資格を取るために、仕事の傍ら勉強していた当時買い込んだ専門書がたくさん残っている。教科書としてほとんどマークを書き込んだので、多分売れないだろうと遠慮。
しかし中には、中止を決断したときまでに、活用機会のなかった書籍もある。もちろん本は定価で買うもの。未使用の書籍を集めたところ、全部で五万円近くか。
冒頭の値段は、近くのXXオフの店頭へ持ち込んで、査定してもらった結果。家人は、手数料だねと言っていた。
館主に言わせれば、手数料にすらなりはしない。そもそも店は無料で自宅集荷すると言っている。お客が自家用車で運び込んでくれたガソリン代およびかけた時間をお金に換算すれば、こんなはした金で「買い取り」というなどおこがましい。
本を愛するご同輩、心せよ、本の価値は買った本人にしか分からないと割り切るべし。
ヒトラーのしかけた錬金術
今でも日本の近くの某国で、密かに行われているという国家事業。
いくらでも発行できる単なる紙っぺらと言う無かれ。そこには、偽造を防ぐ側と偽札を作ろうとする側の血みどろの戦い有り。この本「ヒトラー・マネー」には、ナチが企んだ、国家的大量紙幣贋造作戦の詳細の生々しい記述。戦争というのはこういうところまで、人を駆り立てるものなのか。以下、引用。
戦間期の偽札犯のほとんどが失敗したのも、これらの細かい罠を見落としたためだった。偽ポンドはすぐに担当の職員に見破られ、没収されてしまったのだ。だが皮肉にも、ポンド紙幣は偽造不可能だというイングランド銀行の思い込みと過信が強まり、ナチの偽札作戦に対し、無防備なままだった。
初めは、クルーガーのチームはこの罠のいくつかを見落としていた。だが、彼らの偽札職人としての熟練度が上がるにつれ、わざと歪めた文字や、金額の数字をスペルで綴った、その手書き文字に付けた小さな傷、それにハエの糞の跡と呼ばれるほどごく小さな点など、罠がどんどん見分けられるようになる。
