この本「阿片茶」は、何度読み直してもおもしろい。恋多きイタリア女性だが、人生のどの場面でも命がけ。
まるで映画を観ているような、大人の恋愛。そこらの兄さん、姉さんの恋愛物語に辟易している方にも、おすすめの一冊。
「あなたは私のためにいろいろ尽くしてくれたわ。そのことは決して忘れない。」
「忘れることにする。それがいちばんいい。いまの君は君自身の問題を解決しなければならない。自分で何とかしなければならないんだ。私たちの生活はどんどん変化していく。何かが起こればそれをそのまま受け入れるしかない。いつまでも続くものなんて何ひとつありはしないんだ。」
イタリア貴族の伯爵令嬢が母国で、タムなる中国人留学生と出会ったばかりに、めまぐるしく運命にもてあそばれていく体験を回想。戦時下の混乱のため、タムと生き別れ、一時は日本軍のスパイとして利用される。東洋のマタ・ハリは川島芳子だけではなかったか。
離陸寸前の飛行機内で米軍にとらえられ、反逆罪として中国から告訴される。スパイとしての活動はアマチュアの域を出なかったが、一種の見せしめだろう。法定内の検察側の攻撃と弁護側の反撃の描写は、まさにアメリカのサスペンス映画。最後までかばってくれたヤン氏。一方、いいより続けていた給仕人による、告訴後手のひらを返す復讐、彼女を利用してきた、日本人大佐の裏切り。
やがて死刑の判決。それ以降、生き残るための彼女の戦いは凡人の想像を絶する感あり。
読者をぐいぐいと引っ張り続ける彼女の筆力も、その美貌に劣らず並みでない。天は二物を与えたようだ。
これほどの魅力的な女性に愛された男どもは、幸せ者じゃ。

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輝いていた時代のカリスマ日本人
ふと本棚を見やると、昔読んだ本が無性に懐かしく、また手に取りぱらぱらとページをめくることがある。
すっかり周りの国からなめられるこの時代。政治はさておき、iPodなど本来日本のソニーが真っ先に開発して売りまくって欲しかった製品。久しぶりにこの本「ソニー ドリーム・キッズの伝説」に目を通す。ついこの間まで、我が国の企業が世界を股にかけて活躍していた時代、それを牽引したカリスマ日本人たち。
ニクソンの商務長官だった男の盛田昭夫の評。
昭夫がアメリカで仕事するときは、何に寄らず受話器を取り上げ、米国のどんな実業家とも話ができた、ということなんだ。「どなたでしょうか?もう一度お名前を」なんて返事をされたり、通訳とかなんだとか、うるさいこと抜きなのさ。
これはヘンリー・キッシンジャーの言葉。
私の経験では日本人は意思の伝達があまり上手でない。日本人はコンセンサスの範囲内でだけ活動する傾向がある。そして、コンセンサスから外れ、別の文化を持つ人と対話する場合、日本人は独自の決定をくだす権限が自分にはないと感じるため、苦しくなる。(中略)盛田とは対話ができる。非常な愛国者であり、日本人的なものの考え方の断固たる擁護者だが、日本人でない者に意味が分かるように考えを伝えることができた。おそらく私があった中で、ただ一人の最も有能な日本人スポークスマンだった。
盛田氏は相当別格だったことが分かる。それでは一転、これは誰のことを指すかおわかりか。
日本での最後のコンサートが終わった夜、疲れた様子で家へ来た。しかし、テーブルを見るとパッと顔が明るくなった。食事を終えたときにはたいそう気分がよくなり、私たちのために「ムーン・リバー」を歌ってくれた。
こう語るのは、盛田氏夫人。夫妻の前で歌ったのは、言わずとしれたアンディ・ウィリアムズ本人だとか。
もう一人のカリスマは、もちろん井深氏だ。この夢見る男の存在もソニーには、例のトリニトロンの開発では特に、必要だった。ただし、やがてテクノロジーの進歩に追いついていけなくなる彼の悲劇にも、この本は容赦なく触れている。
昔々、私が某メーカーで某プロジェクトに従事したときのこと。マイクロコードを開発していたある同僚が、オヤジがニューヨークにやってくるから、今週末は迎えに行くんだ、などと何気なく発言。ホホー、海外駐在員の子弟だったのか、そんな程度の印象だった。この本を読んで、アイツが創業者の息子だと知ってびっくり仰天。オヤジは直接動かず、ソニーで雇いたいと言ってくれたのは盛田氏だったのか。
こんな内幕まで表に出すことをよくソニーは許したもんだと懐の大きさに感心。創業者たちのスケールの大きさに触れ、自信を取り戻す本。
ソニー ドリーム・キッズの伝説
母語を話す快感
「団塊諸君一人旅はいいぞ!」からの引用。
しばらく雑談した。たわいもない会話なのに、うれしくて仕方ない。日本語を存分に話すのが、こんなに快感なのか、初めて知った。しゃべる相手にカネを払ってもいいというほどである。言葉でいらついた一日だったからなおさらなのか。足が地に着くといえばいいのか、祖国の言葉は、安心を得るものなのだ、と心強く思った。
「祖国」という言葉が出てくるほど、幸か不幸か長期間海外に出たことはない。何はともあれ筆者の旺盛な好奇心と行動力に脱帽。

ウミハ ヒロイナ、オオキイナ
出張で、アメリカはNY州の北にあるK市に数ヶ月住んだときのこと。異邦人にとって、何もない田舎町での休みは暇をもてあます。幸いマンハッタンが遠くはない、ほぼ毎週末、数時間かけてドライブ。
ひとしきり「都会」をうろついたあと、帰りはハドソン川沿いを北上。暗闇を一人ドライブする間、退屈しのぎに大声で童謡を独唱。十八番はこれ。
ツキガ ノボルシ、日ガ シズム。
ウミニ オフネヲ ウカバセテ、イッテ ミタイナ、ヨソノ クニ。
「童謡 心に残る歌とその時代/海沼実」からの引用。

いつ死ぬか、どこで死ぬか
自分で自由にそれを決められたら、一番いいのだろう。でも果たしてそれが可能かどうかは分からない。
ふと思うことがある。オヤジは最後は埼玉の病院で亡くなった。痴呆になり、病院を転々と追い出され、そこはオヤジの故郷でもなければ、実家でもなし、長男であるオレの家とも縁はない。ケアマネージャーがふと漏らした候補の一つに過ぎない場所。オレが藁にもすがる思いで見つけた場所だった。
「哀しいアフリカ―国際女探偵、呪術の大陸を行く」からの引用。
死ぬとすればどこがいいだろうかと、わたしは考えた。が、死に特別な意味を与えてくれる特別な場所など一つも思いつかなかった。どこで死ぬか。そんなことはどうでもいい。わたしを悩ませているのは、いつ死ぬかだ。わたしは昔から人生を一幅の絵のようにも、エジプトの古墳の壁に描かれたヒエログリフのようにも、映画の一巻のフィルムのようにも思っていた。要するに、最後の部分が一番重要なのだ。一番すばらしくなければならない。
進歩は善なり?
特に今のようなネット時代にどっぷりつかった毎日だと、「進歩は善なり」は当たり前すぎて、誰も疑問すら持たない。でもちょっと待った!と立ち止まることも時には必要だよな。
リンボウ先生のこの本「ついこの間あった昔」の「滅びゆく技術」からの引用:
それから思うと、何でもただ同様のコストでさっさとコピーしてしまう現代の学生たちは羨ましいけれど、しかし、一方で、このガリ版を切りつつ、一文字一文字、それこそ石に文字を刻むような心がけで字を書いたことによる、知識の脳みそへの定着と言うことを思うと、すべてが進歩して良かったとばかりは言えないのである。
裏日本随一のフランス料理店を作った男、その光と影
先月読み終えた本「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」からの引用。
志ん朝は、ひいき筋の計らいで毎年フランスを訪ね、本場のフランス料理を食べるのを楽しみにしていた。フランス料理通を持って自ら任じていたのだが、まさかこれほどレベルの高いフランス料理に東北の地方都市で出会えるとは、思ってもみなかったのである。
そして支払の段になって、もう一度仰天する。志ん朝がこの料理と飲み物ならこの値段と予想した金額の、三分の一にも満たなかったからだ。
「えっ、そんなわけないでしょ。こんなにご馳走を食べて、こんなに飲んでるんだから」
やがて破綻に向かうところが、何ともやるせない。
「芸術家としてではなく、利益を生む支配人として経営をみてくれ」
しかし久一は、そう言われれば言われるほど、利益を上げることより、赤字を膨らませても日本一のレストランと言われ続けることに執念を燃やした。
生きていれば、いいことが起こる望みはある
次の本からの引用:戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった
幼いころ、父さんからよくこんなことを聞かされた。「生きていれば、もっといいときが来ていいことが起こる望みはある。人の運命に何もいいことが残っていないなら、その人は死ぬのだろう」。歩きながら、この言葉について考えた。おかげで、自分がどこに向かっているのか分からないときでさえ、前に進みつづけることができた。
この夏、摩訶不思議な読み物は如何
何というのだろうか、この本を読み終えた読後感は。よくぞこんな摩訶不思議、奇妙奇天烈な小説を創作したものだ。舞台は現代イギリス、女学生アリエルはある本をめぐって、現代、19世紀、仮想空間と時空を超越して行き来する。その本とは、この題名でもある「Y氏の終わり」。iPodが出るかと思えば、ホメオパシーという訳の分からない薬、「シュレージンガーの猫」なる思考実験。SF、オカルト、ミステリーのオンパレード。
猛暑の続く日本の夏、たまにはこんな本を読んで、次元を超越しては如何?
Y氏の終わり (ハヤカワ・ノヴェルズ)

ぼくは簡単な算数はやったことがない
以下、エニグマ・コードを解読せよからの引用。
ある朝、私は貧乏くじを引きました。教授にテーブルまで呼ばれて、数字が並んだ紙を渡されたのです。
「悪いがこれを解いておいてくれないか、アン?」
私はポカンとしました。教授は誰が見ても頭が切れて、ケンブリッジ大学の数学科で教鞭をとっていた人物、かたや私のほうは、数学は得意科目ではありません。でもよく見てみたら、割り算がずらずらと並んでいるだけでした。なので全部仕上げて、教授のところに持って行きました。そして納得がいかないので聞きました。どうして私に頼まれたのですか、教授なら一瞬で終ったでしょうに、と。すると教授は、ひどくばつが悪そうな顔をして答えました。
「いやあ、ぼくは簡単な算数はやったことがないんだよ」
教授とは、チューリングマシンで有名なあのアラン・チューリング。こんなところで登場するとは。





